生活保護と格差社会-何が問題なのか

3月6日の朝日新聞に、以下の様なグラフの載った記事が掲載された。

生活保護、子供に言えない

生活保護、子供に言えない(3月6日の朝日新聞より)

案の定、ネット上では各所で反響が巻き起こっている。「生活保護 野球」などで検索すればたくさん出てくる(この家庭では子供に習い事として野球をさせているため)。実際、この生活費の内訳を見れば、突っ込みどころは満載だ。
しかし、その点については、ここで私が書かなくても、うんざりするくらい他で語られているので繰り返さない。
言いたいのは、問題の核心はそこにあるわけではないということ。
まず、この記事を書いた記者の感覚は大いに疑問があると言わざるをえない。この記事の論調が、この家庭へのバッシングをより一層助長している。
この記者は、この家庭を「大変貧しい苦しい家庭」の例として持ち出し、保護基準の引き下げにより、ますます苦しくなる、これは問題ではないか、とまとめている。もちろん、保護基準の引き下げには私も大反対である。
しかし、論理が破綻しているところがあり、この母子家庭の母親自身が「確かに保護費を超える給料なんて難しいし、『保護世帯はもらいすぎという声もわかる』。(後略)」と言っているのだ。また、この家庭は元夫のギャンブルと多重債務によって、離婚にいたり貧困に陥ったとあり、ギャンブルの費用として借入をしていたと考えるのが素直で、現在の格差社会によって貧困になったとは必ずしも言えないのである。
生活保護基準以下で暮らす人が増えるという逆転現象が起こっていることのほうが、あえて言えば大きな社会問題であり、そうした人々すべてが、基準に満たない部分について、保護を受けられるようにするべきである。
そのことに一言の言及もなく、あたかも生活保護世帯のみが、貧困世帯であるかのような書きぶり、しかも現在の保護費でも足りないという書きぶり(前述の母の言葉の後には「(このままでは)子供を塾に通わせられず」と続く)が、反発を呼ぶのである。

結局、最大の問題は、今の日本社会が大多数が「普通の暮らし」をできるような社会ではなく、格差の拡大が進んでいるということろにある。大多数が、この母子家庭以上の賃金なりを得ているならば、誰もそんなに反発しないであろう。

結論としては、もちろん生活保護基準を下げることではなく、国民全体の雇用確保、賃金上昇、格差是正を政策として行う他ない。一方で、生活保護の適正な運用も必要であろう。この母子家庭にしても、ずっと生活保護に頼るのは適切でなく、自立できるように適切なサポートが望まれる。
この母親が、生活保護を受けたきっかけは「司法書士から勧められた」ことからと記事にある。真に困窮している人に、社会のセーフティーネットとしてこうした制度を紹介し、また手続も支援するのは専門家の社会貢献活動として意味のあることだが、生活保護が受給できて終わりではない。この司法書士も、母親の自立に至るまで、継続的にサポートすべきである(してるかもしれないが)。このような自立支援という視点もこの記事には全く欠けている。その点で、家計簿をつけることを習慣づけることや、ある種の消費者教育の形での援助も必要と考える。携帯電話一つとっても、言われるがままの契約をしていると不必要な費用を払わさているケースは多々ある。またカードのリボ払いなども結局は利息の負担があるだけ、家計にはマイナスになる。こうした点を改善していくことでも、収入がたとえ増えなくても、家計を楽にしてくれ、破綻を防ぐ効果もあるのである。

トンチンカンな記事で、為政者にはむしろ好都合なバッシングを煽ってしまった結果となった。

(追記)翌日である3月7日の朝日新聞生活面に「同じ境遇 助けあって就労」「カフェで働きながら調理師免許」といった見出しの記事が掲載されていた。こちらはシングルマザーの自立に向けた取り組みに関するものでした。