行政書士は弁護士とはぜんぜん違う!

今ひとつ認知の度の低い行政書士だが、弁護士との違いを通じてその特徴を紹介します。

以前の記事で、行政書士と弁護士は業務内容がかぶる部分があり、そこへ昨今の弁護士の増員→過当競争の背景も相まって、弁護士会などから行政書士への警告などが行われている状況について書きました。これです↓。

弁護士受難の時代

ここでは、行政書士が明らかな法律違反を犯しているかのような報道は誤っている、弁護士らのこうした姿勢、方針は生産的なものとは言えないばかりか、職業の自由の面からも過度の規制を国家権力に求めるもので憲法上も問題があるといったことを述べたのですが、このような行政書士と弁護士とが対立している側面は、実は一部分です。弁護士会の主張は私は不当なものと思ってはいますが、仮に弁護士会の主張通りになったとしても行政書士の仕事がなくなるわけではありません。当然のことですが。行政書士と弁護士とでは仕事の領域が重なる部分があるといいましたが、これも扱う領域がかぶっているだけで、実は取り組むスタンスは180度違うのです。ここに行政書士の独自性があります。

行政書士は、紛争になる前に活躍する

原則、弁護士しか依頼人を代理しての示談交渉はできないのです、ここを捉えて非弁行為=弁護士法72条違反ということを弁護士会は言ってきます。示談交渉とは一方当事者の代理をして相手と交渉するわけです。これはいわば弁護士ならではの特権とも言えますが、実はこんな示談交渉などやらないほうが良いケースは多いのです。弁護士の職責は「依頼人の利益に」ということです。逆に言えば、相手をやっつければやっつけるほどいい仕事をしたということになります。すでに喧嘩になっている場合はそれもいいでしょう。しかし、世の中には、喧嘩になる前に、喧嘩にならないために法律の知識を使って工夫できることがたくさんああるのです。これが行政書士の仕事です。もちろん、この仕事も弁護士でもできますが、得意ではないです。なぜなら弁護士は依頼人の利益に、が本分だから、常に喧嘩=紛争として物事を見る癖がついてしまっています。以下に2つほど例を上げます。

遺産相続の場合

遺産相続が問題になった時、相続人の一人が弁護士に依頼したとすると、家庭裁判所で調停をするケースが多いようです。調停というのは裁判ではなく「話し合い」なので、弁護士からすると穏便な方法をとっていると思っているのかもしれませんが、普通の人はそう思いません。いきなり裁判所に呼び出されるわけですから。このことだけで、依頼者でない他の相続人の感情がこじれます。実際、弁護士は依頼者の相続分が最大になるように動きます。すると場合によっては、他の相続人が別の弁護士を雇い、対決することになり紛争が泥沼化するわけです。行政書士はこんなことはしません、というか法的に出来ませんし、する必要もない。行政書士は、すべての相続人の方に対して、遺産分割協議書の作成のために相談なりアドバイスを行います。そのことで遺産分割は円満に終了します。

遺言の問題もしかりです。弁護士に遺言の作成を頼むと、職業柄どうしても依頼者の利益を最大限反映する遺言を作成しようとします。実際に遺言者が死亡し遺言が効力を持った時に遺言の執行がスムーズに行われるかという視点は少ないと思われます。事実、公正証書遺言が作成されていたにもかかわらず、遺留分を侵害する遺言であったりして(それ自体は違法ではない)、遺言者の死亡後、相続人間で、訴訟に発展するケースもあります。なんのための遺言なのでしょうか。うがった見方をすれば、事件=紛争になればなるほど仕事が増えると考えてるのかと思ってしまいます。

労使問題においては

次は労使問題です。大企業であれば、顧問弁護士がおり、労務政策に関わっているが、これも使用者に雇われているため、基本は使用者の利益のために、労使の円満な関係を作るというより、いかにして紛争を封じ込めるかのアドバイスになりがちです。しかし、それでも封じ込められなかったものが、裁判沙汰になる。前提として、民事裁判というものは、真実を明らかにする場ではありません。証拠に基づいて、一定のルールにしたがって下されるのが判決です。だから真実であっても証拠によって立証されなければ無意味であり、極端な話ですが多少インチキでも証拠によって立証すれば、バレなければそれに基づいた判決になります。すると労使問題で訴訟になったとき、圧倒的に強いのは使用者側です。労働者側がしっかりした証拠を残しておくことが困難なのに比べて、使用者は自己に有利な従業員の陳述書などいくらでも作れるわけです。セクハラ問題などは特に証拠が難しいので、二重三重に不利になります。そういう裁判で使用者側が敗訴するというのは余程のことだということです。具体例があればわかりやすいので紹介します↓。

オリンパス敗訴で明らかになった女弁護士のブラック過ぎる手口

このオリンパス内部管理体制問題・制裁人事・人権侵害訴訟の弁護士の一人が、高谷知佐子という方で、日頃からオリンパス社において労務政策を指南していたということです。事実ならとんでもないことですが、弁護士の仕事自体の中にそういう方向へどんどん行ってしまう要素があるのです。しかし、こうしたやり方が、本当に長期的にみて使用者側の利益になっているのだろうか?大いに疑問があります。しかもこの弁護士、別の事件(野村総研)では、会社の方から、被害者を名誉毀損で訴え、恫喝訴訟ではないかと懲戒請求されている。こうなると法律に則って、法律によって闘うというのではなく、もはや訴訟を起こす事自体が目的で内容はどうでも良くなる。お粗末なことに結局、訴えを取り下げたとのことです。

野村総研、社員によるワイセツ被害女性を“逆に”訴えた恫喝訴訟で実質上の全面敗訴

これなども、弁護士が無知でレベルが低いからこういうことが起こるのではなく、むしろ当の弁護士らは、極めて優秀な方たちのようです。自らの主張が法的には体をなしていないことは百も承知でやっていた可能性が高いです。大企業である依頼人の利益にという弁護士の任務に忠実なあまり暴走したのでしょうか。行政書士では、こういうことは起こりえません。(そもそも行政書士は、中小企業がメインですが)

そういうわけで、弁護士と行政書士とでは職域が重なる部分はありますが、その部分においても、仕事のやり方はぜんぜん違うということ、そう考えれば弁護士と行政書士は、全く重ならない別の仕事と言えます。利用者の側は、このような両者の違い、それぞれの特質をふまえて、依頼する必要があります。