一人一票-の意味するもの一票の格差について

一人一票この間、一票の格差について違憲無効判決が複数出されるなど、大きく事態が動いた。これはひとえに数年来の関係者の並々ならぬ努力の賜物である。
これに関して2点ほど意見を述べる。

憲法は人口比例選挙を要求している

新聞記事にも「一人一票」との表現が出てくるが、この言葉の意味自体が理解されていなかった(私も含めて)。形式的に一人一票なのは今も昔も変わっていない。あるひとだけが1人2票投票できる制度だったことなどもちろんない。
形式的には一人一票であったため、われわれはこの問題に長らく鈍感であったといえる。このことに衝撃的に問題提起したのが、現在の訴訟の中心である升永英俊弁護士らであった。形式的には1票でも、実は2票分あるいはそれ以上投票している人がいる、ないしは自らの投票の価値が1票に満たないものでしかないと。
もちろん、この定数格差の問題は、1970年代から違憲訴訟に取り組むグループがあり、このグループの功績は偉大だ。しかし、新たなグループは、なぜ一人一票でなければならないのか、について新たな論理を展開した。
これが、この間の違憲判決の底流にある。
これまでは憲法の教科書の世界では、衆議院議員選挙の場合は、3対1以上が違憲とされ、参議院の場合は、5対1でも合憲判決が出されています、というのが標準の解説で、それを大した疑問も持たずに覚えてきたのである。
今回の一連の訴訟は、これに対して1対0.99でも駄目だ、1対1が憲法上の要請である、ということをはっきりさせたことに意義がある。

しかしながら、今なお政府の区割り改定案は1対2を目処にしているようだ。これでは問題の核心を全く理解していない。
また、必ず出てくる意見に、地方の声が反映されにくくなる、というのがある。果たしてそうだろうか。
国会議員の役割の本質に絡む問題だ。地方の利害の代弁者が国会議員ではないはずだ。場合によって柔軟な選出の仕方があっていいなどというのは、民主主義の理解の根幹において誤っているのではないか。
国会議員の連中が格差是正に激しく抵抗しているさまは、彼らがいかに不公正な方法で選ばれた人たちであるかを逆に証明しているかのようだ。それでもまともに政治をやってくれるならまだいいかもしれない。しかし、この選挙方法で選ばれた議員だからこそ、この間の日本の現状をもたらしていると考えるのが素直だろう。
選挙制度の問題は、単に制度の問題ではなく、これからの日本の行く末を左右する問題である。

飛鳥時代から今日迄の1500年間、日本人は、「国民主権国家」を実現していない

(一人一票実現国民会議 意見広告シリーズ8 より)

一人一票実現国民会議